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ワルター・ジュスキント モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、シェーンベルク:ピアノ協奏曲(紙ジャケット仕様)

このCDのジャケットは、レコードとして発売された当時のジャケットを使用しているが、このジャケットのデザインに、このアルバムのコンセプトが示されている。モーツァルトが生きていたであろう時代の絵画と、シェーンベルクが生きていたであろう時代の絵画を並列することによって、両者の作風、あるいは拠って立つ芸術観のコントラストを際立たせようとしている。グールドは、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番をピアノ協奏曲の実質的な始発点とし、シェーンベルクのピアノ協奏曲を終着点と定め、「コンチェルトという偉大な様式への移行とそこからの脱却」を例証するために、このカップリングでのリリースを実行したという。グールドの考えるところに依ると、協奏曲という概念自体、もはや作曲家の、楽器の腕前ないし作曲上の技巧をひけらかすフィールドとして役不足になっているのだ。協奏曲は、独奏と合奏の対比によって、交響曲のような音楽の流れを作り上げることを目標とするが、グールドに言わせれば、グリーグやリスト、ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、そうした目標を十全に果たしていない。交響的な書法を得意としない作曲家が協奏曲というジャンルに手を染め、交響曲を得意とする作曲家が協奏曲で芳しい成功を収められなかったため、グールドから見れば、協奏曲は交響曲より軽いジャンルなのである。こうした協奏曲の最初の立派な雛形として、モーツァルトの、この協奏曲を掲げ、協奏曲というジャンルが何故成功しないかということを、グールドは自分の解説の中で検証している。第一楽章のオーケストラによる提示部を、グールドは高揚感のあるものとして高く評価しているが、こうした高揚感がピアノ独奏で再提示されることで失われていると考える。オーケストラの提示部で示された壮大さをピアノ協奏曲という形式が悉く台無しにしている点、また、独奏ピアノの書法が時代錯誤な通奏低音になっているという点が、モーツァルトの作曲上の欠点として、グールドにあぶりだされていく。第二楽章のオーケストラ書法と独奏の書法のコントラストの巧さや、第三楽章の変奏技術の巧みさについても、グールドは解説で言及しているが、むしろ第一楽章での欠点を指摘することに力が注がれている。シェーンベルクの協奏曲は、名技的独奏とシンフォニックなオーケストラの対比という協奏曲概念に終止符を打った協奏曲ということで、グールドによって協奏曲の終着点と見做される。確かにカデンツァのように独奏のみの部分はあるにせよ、全体的にこの協奏曲は、ピアノ独奏がオーケストラのオブリガートを奏するという形になっている。この協奏曲において、グールドは、力学的クライマックスをスケルツォ的第二楽章に置き、感情面でのクライマックスを第三楽章に置いていることを指摘することで、協奏曲として均整の取れたものになっていることを指摘している。また、それぞれの楽章の作曲上の周到さや完成度の高さについても触れ、グールドはこの曲を完成度の高い名曲として位置づけている。収録されたグールドの演奏は、こうしたグールドの解説の具体化である。ただし、CBC交響楽団の演奏は、必ずしもグールドの独奏のテンションに合わせているわけではない。モーツァルトの協奏曲では、グールドは、モーツァルトの音楽に気乗りしているわけではなく、第三楽章以外はまるで突き放すかのように冷静沈着な演奏をしている。それはそれで隙のない演奏振りであり、賞賛されるべきであろう。ジュスキントの指揮するオーケストラのほうは、モーツァルトの音楽の情緒的美しさを説こうと、積極的にニュアンスをつけているが、グールドはあまりなびこうとしない。こうした演奏によって、オーケストラと独奏のコントラストがかえって浮き彫りにされる。シェーンベルクの協奏曲では、ジュスキントの変わりにストラヴィンスキーの弟子であるクラフトがタクトを取る。クラフトは理知的なアプローチで、この曲の厳格な骨格を描き出そうとする。しかし、グールドのほうは、モーツァルトのときと打って変わって、細かくニュアンスをつけて、合理的に演奏しようとするオーケストラに非合理的なものを流し込もうとしている。モーツァルト愛好家がモーツァルトに向けるような愛のまなざしを、グールドはシェーンベルクの作品に向けている。こうした2つの演奏を並べて聴くと、モーツァルトの演奏は、シェーンベルクの作品をよりよく聴いてもらう為の当て馬にすぎないのではないかとすら思えてくる。 モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、シェーンベルク:ピアノ協奏曲(紙ジャケット仕様) 関連情報

ワルター・ジュスキント モーツァルト:P協奏曲第24番

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 K.491が1961年1月17日 トロント、マッシー・ホールで録音。モーツァルトのピアノ・ソナタをあれほど見事に演奏した(一部の『正統派』と自分を認識しているピアニストには、上手なのに何故ああ弾くのか、と言われもしたが・・・)グールドが同じモーツァルトのコンチェルトをどう料理するか。そしてほとんどのピアノ作品を演奏したシェーンベルクのコンチェルトをどう弾くか。興味が尽きないアルバムだ。結論的には・・・あまり面白い仕上がりではない、と思える。その結果故か、モーツァルトの協奏曲はこの一曲で止めてしまっている。つまりは自由にこの曲をいじれなかった、これ以外もいじれない、と思ったのかも知れない。エキセントリックとロマンチック、どんな曲もその両面を秘めている。そしてそのどちらかを引き出してみせることにグールドは喜びを感じていた。残念ながらこのアルバムでは旨くいっていない。それでも随所にグールドらしさは光る。ファンには避けて通れない。 モーツァルト:P協奏曲第24番 関連情報

Silent Tone Record/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲1番,ラロ:スペイン交響曲/クリスチャン・フェラス、ワルター・ジュスキント指揮フィルハーモニア管弦楽団/サイレント・トーン・レコード


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ワルター・ジュスキントは、チェコの指揮者。英語読みでウォルター・ススキンドなどと表記されることもある。
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