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荒井裕樹 隔離の文学―ハンセン病療養所の自己表現史

荒井裕樹氏の研究の出発点には、既存の「文学」研究に対する疑問があり、本書は、私たちが一般に「文学」と思い込まされている、いわゆる「制度としての文学」の価値を、そこから漏れてしまう「自己表現の文学」という概念によって、問い直そうとする試みである。ここでいう「自己表現の文学」とは、障害者による文学と、ハンセン病患者の文学=「隔離の文学」なのだが、荒井氏はそれらを対象に、二部構成の博士論文を執筆し、二つに分けて出版したとのこと。これはそのうちの一冊である。本書の中でも触れている通り、こうした問題意識は、旧植民地文学の研究とも一脈通じるところがあり、それにはハンセン病患者も植民地の被統治民族も、帝国の周縁に追いやられたマイノリティーであったという側面が作用している。そのためこれは、植民地研究者にとっても、ある種の共感をもって受け入れられる研究になっている。全体の構成は十章立てで、1931年の「癩予防法」の成立から、戦後の民主化に伴い、1953年に「癩予防法闘争」が展開するまでの約20年間を対象に、自らの「癩」に向き合う患者らの意識がいかに変容し、それをいかに表現したかを、代表的な文学作品を時系列的に取り上げ、深く読み込み、考察している。優れた研究であることを前提に、ちょっとだけ文句を言わせてもらえれば、短い投稿論文をただ繋ぎ合わせただけという感じは否めず、縦糸も横糸もはっきりとしているものの、各章が短すぎて、物足りなさが残った。出版に際し、全体をまとめ直すべきだったろう。興味深いのは、社会から隔離された「自己表現の文学」にも、「社会や国家といったマクロな共同体の権力や規範は逃れがたく影響」(17頁)していたという点だ。この指摘はとても重要で、これがなければ、私は北条民雄から桜井哲夫に連なる「癩文学」の連続性と断続性、あるいは戦後の「癩文学」に備わった、戦前の「癩文学」への批評性がまったく読み取れなかったと思う。(桜井哲夫については、一切触れられていないのだけれど)そもそも北条民雄や明石海人、あるいは桜井哲夫や谺雄二でも、純粋な「文学」作品として、彼らの作品に向き合うことは、そうたやすいことではない。わけもなく感動している自分と、いったい何に感動しているのか(彼らの「作品」にか、彼らの「癩」にか)、とまどう自分がいるからだ。荒井氏に一番感謝したいのは、「癩文学」の置かれた歴史的文脈を実証的に検証することによって、私の安っぽい感傷を打ち砕いてくれた点なのだが、もうひとつ重要なのは、おそらく今まで十分言語化されてこなかった、「癩文学」の成立を可能ならしめていた極めて政治的・社会的な力学と、そこから産出される患者の自己認識との関係性を明確化し、読者に作品を受け止める心構えを要請した点だ。それによって、新たな「癩文学」の「読み」が誕生したことは間違いないだろう。実際、荒井氏に導かれて個々の作品を読むことは、これまでにない充実した読書体験となったが、よくここまで作品を読み込んで、行間に埋もれた様々な思いを救い上げたなあと感心する反面、ときに筆が走りすぎて、まだ形になっていないマグマを、ある種の研究者的ステレオタイプに流し込んでしまったようなところも目につき、年齢ゆえの未熟さを感じた。明瞭な分、過度の図式化を図ったのではと感じさせる箇所も多々あった。それでも、作品に拮抗するだけの批判力・分析力を十分感じ取ることが出来るので、優れた研究であることに間違いはない。さらに欲を言わせてもらえれば、台湾や韓国まで射程に入れてほしかった。ハンセン病の歴史に限らず、日本の近代史は植民地を除いては語れないし、そもそも台湾と韓国のハンセン病政策は内地と密接に関わっていたからだ。おそらく、それは今後の課題になるのだろうが、そこまでカバーした、より大きな研究に期待したい。 隔離の文学―ハンセン病療養所の自己表現史 関連情報




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